信心とサプリメント、医療と科学の限界。

信心とサプリメント、何かを信じると楽になる。

 何かを信じるとは妙な言い方になっていますが、人間は常にその人にとっての信ずべき何かを信心しているといえると思います。空気はいつも身の回りにあり酸素を給してくれますし、お日様は毎日あたりまえのように地球を照らしながらエネルギーを無尽蔵に与え続けてくれています。よく考えてみればすごい奇跡の中に生かされていることを畏怖と感謝をもって感じざるを得ません。

 ◆ 科学教の時代。

 現在は科学教の時代です。科学という新しい概念が新興宗教のように浸透して社会通念を形成しています。私たちは科学という宗教を信心しているのと同じですが教会も教祖もいません。人間は自分たちの科学を過信しすべてを解明できるかのように思い込んでいます。

 しかし我々の科学では宇宙のすべてを知ることは到底無理なことですし、大腸菌ひとつでさえ科学的に作り出すことはできないのです。この世には我々人類が知り得ない英知と法則があります。その前には畏怖の思いを持ちひれ伏すほかないのです。科学を知らない時代の人間は、偉大な何かが自分の運命を導いていることを知っていました。太陽をあがめ、月を敬い、自然の営みに感謝することが自分たちの生活の安全と存続につながると考えていました。

 ◆ 医療の限界。

 どうも話を大上段に構えてしまい誠に申し訳ないことです。無神論者がサプリメントにこだわる理由を説明せんがために話を広げたようなことです。

無神論者は裏を返せば科学教の信者です。科学こそがすべてのルールのように考えます。それはわが身においても同じことです。現代人は頼るべき神信心をもちません。その背景は生活が豊かになり、何かにすがらなくてもそれなりの中流生活ができるという事情があります。

 しかし人はどこかで老い病むのです。それは避けられない定めですから、どうにもならないことは一心に願うか、あきらめるしかないのです。どうにかなるなら治療すればよいのですが、医療にも限界があります。医療はすべてを治せるわけではありません。そこにサプリメントに思いを託す理由があります。

この世は今や医学万能主義になっています。それは決して悪いことではなく、確かに医学の進歩は人間の平均寿命を延ばし、病気で亡くなる人は大きく減少しました。また医療技術や医薬品が開発され病気の治療に役立っています。平均寿命は延びましたが、人は寿命が尽きればいかに高度な医療をもってしても命を救うことはできません。もともと人の体には自然に備わった治癒力があります。医療はあくまで人の本来の治癒力をサポートするものです。

病は気からとも言います。気持ちの持ちようや信じる力が健康を維持し病気になりにくい体を作ると言えるのではないかと思っています。もちろん医療に頼らなければどうしようもない病気やケガもあります。しかし多くの体調不良や病気では医学的な治療がすべてではなく精神的な支えや治癒を信じる心、前向きな意識が病気を克服する力、無病のもとになるように思います。グルコサミンを始めとするサプリメントも栄養素としてだけでなく治癒力を高める精神的なサポートになるのではないかと思っています。

◆ 神頼みとグルコサミン。

大きな病をえると神頼みと医療への信頼がまじりあい、無神論者も医療不信も棚上げにして眼前の頼れるものに一心にすがっていくのが人間の弱さです。表向きはポーカーフェイスでも心の奥底では人間の動物としての生への執着が渦巻いているのがあたり前です。

変形性ひざ関節症の痛みでは命にかかわるような恐怖はありませんが、日々の生活での不便は高齢者になるほど深刻なものになります。激痛に見舞われると不便どころか押しつぶされそうな不安さえよぎるのです。家族や子に迷惑をかけたくないという親の思いは、グルコサミンだろうがヒアルロン酸注射だろうが、回復するためには何でもするという切ない気持ちなのです。

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◆ 何かを信じると楽になる、グルコサミンまとめ。

 何かを信じると、疑念をもちながらも心が楽になることがあります。人間は自分の体でありながら、自分の思い通りにならないということは、自分のものではなく借り物であるということです。考えてみれば選んで生まれてきたわけでもなく、望んで死にゆくわけでもでもありません。大きな流れのなかで気がついたら、たまたま自分であったというだけですから、じたばたとあがいてもどうなるわけでもありません。

現在の医療は確かに進歩し病気で死ぬリスクは大幅に低下したのは間違いないですが、長生きリスクの解消には役立ちません。科学や医療がいかに進んでも老化を止めることはできない相談ですし、最先端科学の粋を集めても大腸菌すら作ることはできないのですから、ホーキングの言うビッグ・クエスチョンは神のみぞ知る世界なのでしょう。人の体や精神は医学だけで決まるほど単純ではないということです。

それ故に、グルコサミンも人によっては効果があり、そう思わない人には効かないということが起こり得るのです。グルコサミンを信用しない人は最初から飲まないでしょうし、グルコサミンを飲む人は効くかもしれないと思って飲みますから効くということになります。よく考えれば不思議でも何でもないのです。

人間の意識は分散型PCと同じで様々な考えが交互に出てきて、様々な思いと意識がときに応じて主役に出てきてその都度の考えが自分の考えになります。ときとして悪いことを考えてもそれがその人のすべてではありません。誰しも人の脳の中にはよい心と悪い思いが並列に存在して人格を形成しています。

 話がそれてしまい相済みません。科学教の無神論者でもグルコサミンに依存することがあるということを申し上げたかっただけです。まさに何かを信じると楽になるという一つの事例です。